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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)10249号 判決 1975年12月25日

亡乙山ひさよ(仮名)

訴訟承継人

原告

甲野花子(仮名)

右訴訟代理人

我妻源二郎

外二名

被告

乙山太郎(仮名)

右訴訟代理人

森虎男

外一名

主文

一  被告は原告に対し、別紙物件目録(一)の土地につき乙山ひさよの共有持分を四分の一、同(二)ないし(五)の各土地につき乙山ひさよの持分を二分の一とする共有持分移転登記手続をせよ。

二  被告は原告に対し、金八四九万九、五五〇円及びこれに対する昭和四八年一二月二九日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、第二項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  申立

(原告)

被告は原告に対し、主文第一項と同旨の登記手続をなし、かつ、金一、二四九万九、五五〇万及びこれに対する昭和四八年一二月二九日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  主張

(原告)

請求原因

一、原告は、乙山ひさよ(以下ひさよという)が昭和五〇年九月一〇日死亡したため、公正証書(東京法務局所属公証人鈴木才蔵作成昭和四九年第九九号)による遺言によりひさよの包括受遺者となり、その権利義務一切を承継した。

二、ひさよは、別紙身分関係図に表示のとおり、乙山元吉(以下元吉という)、同元子(以下元子という)の長男乙山市太郎(以下市太郎という)の妻であり、被告は、元吉、元子の三男である。

三、ひさよは、大正八年市太郎の許に嫁して後、病弱で目の悪い元子に代つて家事の切りもりをし、母親代りとして、誠心誠意被告を含む市太郎の弟妹の養育にあたつてきたが、ひさよ夫婦に子供が出来なかつたところから、行く行く被告を養子にして跡目を継がせようと考えていた。

それ以来ひさよ夫妻は、被告を乙山家の後継者となるべき者として、他の兄弟は一人も上級学校へ進学させない中で、一人被告のみを旧制中学、高校を経て日本大学医学部へ進学させた。

被告は、中学二年の時寄宿舎生活で脚気に罹つたので、ひさよ夫妻は被告を一年休学させて自宅へ帰らせて看病したほか、日大医学部在学中被告が肋膜炎に罹つたので、ひさよは東京の下宿先へ出向いて看病したり、自宅へ連れ帰つて看病をして快復させた。

被告は、医学部卒業後間もなく結婚したが、終戦後山梨県河口湖町で開業するまでは、その生活費は全てひさよらが仕送りをしていた。

被告は、戦時中品川区戸越においてはじめて医院を開業し、終戦後は河口湖町において医院を開業し、昭和三一年から被告現住所地に移つて開業し、現在に至つている。

四、昭和二四年二月にひさよの夫市太郎が死亡し、相続が開始したが遺産分割はなされないままとなつていたところ、昭和三九年七月二日、被告はひさよに相談することなく、練馬区役所へひさよと被告夫婦の養子縁組の届出をなしたが、もとよりひさよに異存はなかつた。

五、ひさよは、昭和二四年二月一六日市太郎の死亡により、別紙物件目録(一)の土地につき四分の一(被相続人・市太郎の持分はもともと二分の一であつた)、(二)ないし(五)の各土地につき各二分の一の持分を相続し(以上の各土地を、以下本件土地という)、その余の持分は、一旦市太郎の父母元吉、元子が相続したが、同人らが昭和二五年及び同三一年にそれぞれ死亡したので、被告を含む市太郎の弟妹らが相続することになつた(別紙身分一覧表参照)。

六1  ひさよは、被告を慈しみ、その人柄を深く信頼していたところから、その老後を託すべく、昭和四三年頃、自己の相続分の全てを被告に対して贈与した。

2  ただし、右贈与は、相続財産につき遺産分割が未了であつたところから、ひさよがその心情を訴えて、被告以外の相続人を説得した結果、便宜的に、被告以外の全ての相続人が相続持分皆無証明書を添付して被告単独名義の相続登記の申請をなすといういわゆる相続放棄の形式でなされた。

3  そして、昭和四三年一〇月一五日、本件土地につき、源太郎→父母→被告なる、相続を原因とする所有権移転登記手続が経由された。

七、ところが、被告は、前記贈与後俄かに態度を一変し、つぎのとおり、数々の忘恩行為に及んだため、右贈与の基礎となつていたひさよと被告との間の情宜関係は、完全に破綻するに至つた。

1 市太郎は、生前、渡辺家の女中として仕えた久保まさ江が昭和二二年結婚する際、同女に対し年季奉公のお礼として農地を一反歩与えたが(このことは被告を含む市太郎の兄弟全員が承知していた)、同女は昭和二七年頃これを小池伝之助に売却し、同人が耕作していたが所有権移転登記がされないまま市太郎から被告への前記相続登記がなされたので、小池が農業委員会を通して被告に右農地の所有権移転登記手続請求をしたところ、被告は右土地の久保まさえへの贈与を否定したので、昭和四五年頃ひさよが農業委員会から事情を尋ねられ、ひさよは事実経過をありのままに説明した。そのため右土地を取戻そうとしていた被告はその目的を達することができなくなつたので、ひさよを疎しく思い始めた。

2 昭和四五年頃、ひさよは、元吉の代から小使いのように使つていた甲野忠雄から「屋根板が腐り、修繕する板を買う金もなく、雨漏りのため寝られない。」と訴えられ、その苦境を見かねて、被告においても異存ないものと考えて立木四本を同人に与え伐採させたところ、被告から「あげるならもつと道便の悪いところの木をやらなきや困る。」と文句をいわれたので、ひさよが詫を入れて話は収まつていたところ、約一年後、被告は富士吉田警察署に対しひさよと忠雄を盗伐のかどで告訴した。このため、ひさよは警察および甲府地方検察庁から呼び出しを受けて事情を聴取された。

3 被告は、別訴(東京地方裁判所昭和四六年(ワ)第九、六八五号損害賠償請求事件、その原告は甲野花子(本件原告)、被告は乙山太郎(本件被告))において、被告が原告(花子)に対し書面による土地の贈与をしたのは、ひさよが、「これを書かなければ、被告の経営する医院や田舎の家にも放火して自殺してやる。」などと強迫したためであるとの虚偽の主張をしたうえ、法廷で、ひさよは異常な性格の持主であるとか、あるいは、被告所有の立木を勝手に売却したり、被告所有の土地を担保に供すると称して多額の借金をしたりして浪費生活を続けているとかの虚偽の供述をし、著しくひさよの名誉を傷つけた。

4 被告は、昭和四七年一一月一一日、ひさよに何の帰責事由がなかつたにも拘らず、離縁の調停を申立て、ひさよの心情を踏みにじつた(因に、この調停は不調に終つた)。

5 昭和四七年末頃ひさよが、前記贈与によつて全財産を失い、亡夫の恩給九、〇〇〇円の他に収入がなく、被告から送られてくる月額一万五、〇〇〇円を唯一の頼りにして生活していたところ、突如としてこれを中止し、悪意の遺棄をなした、そのため、ひさよは忽ち生活に因り、親類、知人を尋ねてはその好意に頼つて借金をして生活し、昭和四八年二月以降は生活保護を受け、民生委員の世話になつた。

6 被告は、昭和四七年一二月頃、ひさよがその亡夫及び義父母の死後引き続き居住していた家屋に取り付けてあつた電話を、その留守中無断で取り外した、右電話は亡市太郎が村内で最初に設置した電話であり、加入権名義は同人死亡前から被告名義に変更されていたが、被告が設置したものではない。

7 被告は、昭和五〇年二月頃、ひさよの病気入院中右家屋に無断で侵入し、以後ひさよの出入を断つべく道路と家屋の間に有刺鉄線を張りめぐらし、かつ、出入口の鍵まで付け替えた。

8 このため、ひさよは、昭和四八年一〇月一九日離縁の訴(甲府地方裁判所都留支部昭和四八年(タ)第五号)を提起し、昭和五〇年二月六日和諧によつて離縁した。

八、以上により、前記贈与の基礎となつていた情宜関係は完全に破綻したので、ひさよは本件訴状の送達により、右贈与を撤回した。

九1  然らずとしても、前記贈与は、次の負担付のものであつた。

(一) 被告は、ひさよを扶養し、孝養を尽すこと。

(二) 被告が、本件土地の一部を他に売却した時は、代金の三分の一をひさよに与えること。

2  而して、前記のとおり、被告は右負担を履行しないので、ひさよは、本件訴状の送達をもつて右贈与を解除した。

一〇、然らずとしても、前記贈与には、ひさよと被告間の情宜関係が、受贈者たる被告の背徳行為により破綻した場合には、これが解除となる旨の黙示の条件が付されていたのであるから、前記の事実関係によつて条件が成就し、右贈与は解除となつた。

一一、ところで、被告がひさよから贈与を受けた土地のうち、別紙物件目録(六)ないし(一〇)の各土地は既に他に売却されているから、これについては、前記贈与撤回時の価格金一、四九九万九、一〇〇円の二分の一である、金七四九万九、五五〇円の支払を求める。

一二、被告のひさよに対する前記数々の仕打ち、忘恩行為は不法行為を構成するものであり、これらによってひさよは耐え難い精神的苦痛を受けたのであるが、この苦痛を慰藉するための慰藉料額が金五〇〇万円を下ることはない。従つて被告には、少くとも金五〇〇万円の損害賠償義務がある。

一三、よつて、原告は被告に対し、贈与の撤回による取戻請求権、贈与の解除及び解除条件の成就による原状回復請求権に基づく(選択的請求)、別紙物件目録(一)の土地につきひさよの持分を四分の一、同(二)ないし(五)の各土地につきひさよの持分を各二分の一とする共有持分移転登記手続と、同(六)ないし(一〇)の各土地の価格の合計金七四九万九、五五〇円の支払い、及び不法行為に基づく金五〇〇万円の損害賠償金の支払い、並びに右各金銭の合計金一、二四九万九、五五〇円に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四八年一二月二九日から右支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

<以下―略>

理由

一請求原因一の事実は弁論の全趣旨によつてこれを認めることができ、同二、の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  ひさよは、大正八年市太郎の許に嫁して以来、乙山家の長男の嫁として、病弱で目の不自由な義母元子に代つて一家一二名もの家事一切を切り盛りし、被告を含む市太郎の弟妹らの養育にあたつた(右ひさよの結婚当時、同人は二四歳、被告は一〇歳)。

2  そして、ひさよは、被告ら弟妹を、実の親と変らぬ愛情をもつて慈しみ、夫婦に子がなかつたところから、とくに性格が素直でやさしく思われた被告を、行く行くは養子にして甲野家の跡を継がせようと考えるようになり、夫市太郎と共に身を粉にして働き、乙山家の跡継ぎに相応しくと、他の兄弟は小学校卒業だけのところ、独り被告のみを旧制中学、高校、大学(日大医学部)へ進学させた(経歴については当事者間に争いがない)。

3  この間も、ひさよは、被告が都留中学在学中寄宿舎生活で脚気をした時、家に引取つて面倒を見てやつたほか、大学在学中には、毎月のように上京して被告の身の回りの世話をしてやり、肋膜炎を患つた時は下宿先に二カ月余り泊り込んで病気の看護をしてやり、休学させて郷里へ連れ帰つて一年間面倒を見てやる等どれをとつても実の親以上によく被告に尽くした。

4  その甲斐あつて、被告は無事大学を卒業し、医師となり、昭和一二年には訴外乙山みつ(以下みつという)と結婚し、ここに市太郎・ひさよ夫婦の努力は稔つたが、被告夫婦は経済面では依然として品川区戸越銀座付近で開業する迄、月額二〇円程度ひさよ夫婦の援助を受けていた。

5  ひさよは、被告の妻みつに対しても、被告に対すると変らぬ愛情をもつて接した。その愛情は、みつをして「お母さんやお前達(みつの子)の事を必配して助けて頂いた事やら全くこの御恩は決して忘れてはいけないよ。(略)お母さんのつもりで面倒をみて上げておくれとよく話している。」という感謝の手紙をひさよ宛に書かせていた(甲第三〇号証の一)。

以上の事実が認められる。この認定に反する証人乙山みつの証言及び被告本人尋問の結果は前掲証拠に照して措信し難い。

右認定事実によれば、被告にとつてみさよは、実の母以上に面倒を見てもらつた恩ある人であり、被告が今日あるのに与つて力あつた人である、と言うことができる。

三請求原因四、五、の事実は当事者間に争いがない。

四<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  ひさよは、被告を慈しみ、同人の成人後はその人柄を深く信頼していたところから、昭和四二年頃、老後を被告に託しその家族の一員として、被告や孫に囲まれて暮す安らかな老後を送る願いを込めて、亡夫市太郎の相続財産の全てを、被告に対し贈与したいと考えるようになつた。

2  そして、昭和四三年頃、ひさよが、被告以外の相続人方に赴き、その心情を訴えて説得したところ、これらの者は、いずも日頃ひさよを深く敬愛し、その乙山家における長年の労苦を感謝していたところから、これに報ゆるべく、自分達の相続分についても、ひさよの望む儘に、それが被告に贈与されることに同意した。

3  そこで、当時、いまだ市太郎の相続財産につき、遺産分割の手続が未了であつたところから、ひさよは、被告以外の全ての相続人の「相続持分皆無証明書」と登記申請のための委任状を取りまとめて被告に交付した。これによつて、昭和四三年一〇月一五日、本件物件につき、市太郎から元吉、元子への相続登記を経た上、被告単独名義の相続を原因とする所有権移転登記手続が経由された。

なお、その際、ひさよの頼みで、被告から原告(花子)に対し、被告の財産の一部(原野四畝二五歩、山林四畝二三歩)が贈与された。

以上の事実が認められる。この認定に反する被告本人尋問の結果は前掲証拠に照して措信し難い。

なお、乙第一号証(昭和二四年二月二六日付永吉作成名義の遺言書)には、元吉の所有する一切の財産を被告(太郎)に遺贈する旨の記載があるけれども、この書証は乙山ひさよ本人尋問の結果とこれによつて成立を認める甲第三二、三三、三四号証の各筆蹟に照してその作成の真正が疑わしいし、仮に右成立が認め得るとしても、作成の日時は市太郎が死亡した一日後の昭和二四年二月二六日のことであり、当時市太郎の死亡によつて既に同人の相続が開始し、元吉(父)が相続人の一人としてその一部を相続すると共にひさよ(妻)においても同じく相続人の一人としてその二分の一を相続していた関係に在り、ひさよがその相続分を被告に贈与したのは昭和四三年一〇月のことであるから、これをもつて以上の認定を妨げるところはない。

他に右の認定を覆すに足る証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件物件についての被告に対する本来の相続分以外の所有権の移転(そのうち乙山ひさよからの分は、別紙物件目録(一)の土地については持分四分の一、同(二)ないし(一〇)の土地については持分二分の一)は、ひさよと被告間の特別の情宜関係に基づいて、被告以外の他の全部の相続人から被告に対し、相続放棄の形式をとつて各相続分の贈与がなされたものと言うべきである。

被告は、本件物件は相続によつて、取得したものであつて、贈与によつて取得したものではないと主張するが、前記認定のとおり、登記手続の便宜上相続放棄の形式がとられたに過ぎないものと認められるから、右主張並にそれを前提とする禁反言の主張は採用しない。

五ところで、贈与が、親族関係ないしはそれに類する継続的な特別の情宜関係に基づいてなされたに拘らず、右情宜関係が、受遺者の背徳的な忘恩行為によつて破綻消滅し、ために贈与者が、右贈与なかりせば遭遇しなかつたであろう生活困窮等の窮状に陥いり、右贈与の効果を維持することが諸般の事情に照らし条理上不当と解されるような場合には、贈与の撤回ができると解するのが相当である。

よつて検討するに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  さきに判示のとおり、昭和四二、三年頃まではひさよと被告の関係は極めて親密であり、ひさよは立派に成人して医師となつた被告を信頼し、その財産一切を被告に贈与して同人に安らかな老後を託したいと考えていたのであるが、昭和四三年一〇月一五日、前記のとおり、被告単独の所有権取得登記が経由されるや、被告は俄かに態度を変えてひさよに対しつぎのような仕打ちをするようになつた。

2  昭和二二年頃、市太郎は、乙山家の女中として長年尽してくれた久保まさ江(以下久保という)の結婚に際し、年季奉公のお礼として、土地(農地)を贈与した。この土地は、その後昭和二七年頃、久保から小池に売却されたのであるが、登記の所有名義は依然として市太郎のところに残されていた。このため、昭和四五年頃、小池は、市太郎から右土地の登記名義を取得していた被告に対し、農地委員会を通じて、所有権移転登記手続を求めたのであるが、意外にも被告は、市太郎と久保との間の贈与を否定し登記手続を拒絶した。そこで、ひさよが農地委員会から事情を聴取されることになつたが、ひさよは、市太郎と久保との間の贈与の事実を否定することは事実に反し久保を裏切ることになるし、土地の人々の信頼を集めていたひさよに嘘がつけるはずがなくありのままを語り、これによつて結着がついた。

3  昭和四五年頃、ひさよが、元吉の代から乙山家に小使いのように仕えていた乙山忠雄より「家の屋根が腐つて雨漏りするけれども、修繕する板を買う金がない。雨漏りのため夜も寝られない。」と聞かされて、不憫になり、被告においても当然異存ないものと考え、「私の家にはたくさん山林があるのだから必要なだけ伐つてきなさい。」と被告の山林の四本ばかりの立木の伐材を許したところ、被告から問合せの電話があつた。そこでひさよが事情を説明して「かんべんして下さい。」と言うと「これからもあることだから気をつけてくれ、やるのなら便利の悪い奥の方の山の木をやればよいのだ。」という返事であつた。ひさよはこれで忠雄にやつた立木のことは済んだものと思つていたところ、あろうことか約一年後になつて、被告は、ひさよと忠雄が共謀のうえ被告所有の立木を窃取したとして富士吉田警察署に告訴した(告訴の点は当事者間に争いがない)。そのため、ひさよは警察、検察庁へ呼び出されて取調べを受けた。

4  被告は、原告(花子)との別訴(東京地方裁判所昭和四六年(ワ)第九、六八五号)において、被告が原告(花子)に対し書面による土地の贈与をしたのは、ひさよが「これに同意しなければ被告の経営する医院や田舎の家に放火して首をつり、自殺してやる。」などと強迫したためであるとか、ひさよは異常性格の持主であるとか、あるいは、被告の立木を勝手に売却したり、被告の土地を担保に供すると称して多額の借金をしたりして、浪費生活を続けているとか言つた全く虚偽の事実を、憶面もなく法廷で供述し、ひさよの名誉を著しく傷けた。

5  被告は、昭和四七年一一月一一日頃、ひさよには何の答もないのにも拘らず、離縁の調停を申立て、ひさよの心情を著しく踏みにじつた。

6  被告は、ひさよが前記贈与によつて全く無一物となり、市太郎の恩給月額九、〇〇〇円と、被告からの月額一万七、〇〇〇円の仕送りで生活していることを知りながら、昭和四七年末頃から、あえて仕送りを中止し、ひさよをしてたちまち生活危機に陥れ、嘗つては村一番の資産家の未亡人であり、村民の信望を集めていた同人を生活保護と隣人の同情に老の身を託さざるを得なくした。こうして、やむなくひさよが隣人のところへ恥をしのんで生活費を借りに行くと、そこには被告から「ひさよには金を貸さないでくれ。貸しても自分の方では払わないから。」という手紙が届いているという有様であつた。

7  被告は、昭和四七年一二月頃、ひさよが大正八年に市太郎の許に嫁してきて以来引き続いて居住してきた乙山家の家に取り付けてあつた電話(この電話は当初市太郎が取付けたものでこれが取付けられた頃、村には唯一軒だけの電話であつた。)を、ひさよが亡夫の合同慰霊祭のため甲府の県民会館へ行つていた留守中に無断で取り外してしまつた(この取外しの点は当事間に争いがない)。

8  被告は、昭和五〇年二月頃、ひさよが病気で入院している間に右家屋に侵入し、以後ひさよの出入りを断つべく、道路と家屋の間に有刺鉄線を張りめぐらし、更に出入口の鍵まで付け替えてしまつた。

9  ひさよは、遂に被告の仕打ちに耐えかねて昭和四八年一〇月一九日被告夫婦に対し離縁の訴(甲府地方裁判所都留支部昭和四八年(タ)第五号)を提起し(この点は当事者間に争いがない)、昭和五〇年一月二二日和諧により、ひさよと被告夫婦の間の養親子関係は解消された。

以上の事実が認められる。<反証排斥略>

右認定の事実によれば、前記贈与の基礎となつていた情宜関係が、被告の非情極まりなき忘恩行為によつて完全に破綻消滅し、ために老後を被告に託しその全財産を贈与して生活基盤を失つていたひさよは、たちまちのうちに生活危難に陥り、嘗つては村一番の資産家の未亡人の身から転じて生活保護を受けざるを得ない立場に陥つたものであつて、かかる場合には、ひさよに、前記贈与の撤回権が発生し、贈与の目的物の取戻ないし撤回権行使の時点における価格の返還請求ができるものと言うべきである。

六請求原因八、の事実は記録上明らかである。

七別紙物件目録(六)ないし(一〇)の各土地が、既に他に売却されていることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右各土地の、前記贈与の撤回時である昭和四八年一二月二八日当時(本件訴状の送達時)における価格は、次のとおりであることが認められる。

(一)  別紙物件目録(六)の土地

金五七五万〇、〇〇〇円

(二)  同 (七)の土地

金九三万七、四〇〇円

(三)  同 (八)ないし(一〇)の土地

金八三一万一、七〇〇円

被告は、仮に価格返還の義務があるとしても目録(六)(七)の土地についてはその売却代金の二分の一を限度とすべきである、と主張する(抗弁二)ので検討するに、<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。

(一) ひさよは、別紙物件目録(六)、(七)の土地を、被告が重造に対し売却するにつき、被告の頼みで仲介した。ところが被告はひさよに信を措かず、その交渉は直接被告・重造間で持たれ、ひさよが介入する余地はなかつた。

(二) 右(六)(七)の土地の売却代金は、一〇三万五、〇〇〇円であつたが、ひさよはそれすら知らされなかつた。

以上の事実が認められる。<証拠判断略>

そうすれば、被告は原告に対し、右(六)ないし(一〇)の土地の昭和四八年一二月二八日の時点における価格金一、四九九万九、一〇〇円の二分の一である、金七四九万九、五五〇円を返還すべき義務がある。

八前記二、の1ないし5及び五、の3ないし8に認定の事実によれば、被告は、その一〇歳の頃より実の母に優るとも劣らぬ愛情をもつて慈しみ育て成人して立派に医師になるまで面倒をみた上相続財産の全ててさえも贈与してくれた養母のひさよに対し、人道にもとり社会生活上許されない数々の忘恩行為を敢てしているのであるから、これら五、の3ないし8の被告の諸行為はひさよに対する不法行為を構成するものというべきである。而して、この不法行為により、ひさよは筆舌に尽し難い精神的苦痛を受けたものと認められるが、本件に顕れた全ての事情を斟酌すると、慰藉料は金一〇〇万円が相当と認められる。

九以上の次第であるから、原告の本訴請求は、別紙物件目録(一)の土地につき、ひさよの持分を四分の一、同(二)ないし(五)の各土地につき、ひさよの持分を二分の一とする共有持分移転登記手続と、金八四九万九、五五〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四八年一二月二九日から右支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度では正当として認容できるけれども、その余の部分に理由がないので失当として棄却すべきである。よつて、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条但書、仮執行の宣言については同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決した。

(藤井俊彦 渡辺雅文 佐藤嘉彦)

物件目録<略>

身分関係<略>

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